Interview
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since1987
連綿と続く
幹事長の立場
Entry.08
吉岡 大志
Taishi Yoshioka
紺碧の空はどこにある
ノースウエストは、レースの直前にチームを鼓舞するために早稲田大学応援歌である『紺碧の空』を歌う。吉岡が歌い上げる時、いつも空は曇っていた。紺碧の空なんてどこにも見えていない。
あまりこの歌は好きじゃなかった。
歌自体が嫌いなのではない、トライアスロンの場において歌うことが恥ずかしかったからだ。
一年生で初めて見た表彰台、あれ以来早稲田大学の男子が学生レースの舞台で表彰台に立つことはなかった。
それなのに歌詞の終わりは、覇者早稲田。
覇者でもなんでもないのに、歌い上げることはできないと感じていた。
今のこの状況で歌うことはあまりにも惨めだ。
部室に眠る数々のトロフィーたちは、きっと紺碧の空の下、眩い光に照らされて輝いていたはずだ。その光はどこに行ってしまったのか。トロフィーにあるべき誇りは、見向きもされない埃へと変わってしまった。
紺碧の空はどこにも見えない。
どんよりと曇っていて、日差しは遮られている。そんな空の下、吉岡はノースウエストの幹事長に就任したのだった。
日本選手権を目指して
ノースウエストは強いチームだった。昔から、今のような雰囲気で楽しんでいたという。ワイワイとやっているのに強い。そんなチームが憧れだった。確かにトライアスロンを取り巻く環境が変わって、熟練した選手が増えた中で同じやり方で結果を出すことは難しい。だけど、そのままでいることは悔しかった。毎年チームで観戦している日本選手権には、必ず誰かが出場している。それなのに、自分の代で誰も出なかったらどうしよう。そうなるともう二度と強いチームになることはできない気がした。そして、自分が日本選手権に出場することを決意する。
日本選手権の予選会である関東選手権は、暴風が吹き荒れていた。スイムコース上のブイが設置できないことから、急遽コースが変更になってしまう。風が強いということは、バイクが重要になる。一番得意とするバイクでチャンスを手繰り寄せられるかもしれない。
マークをしていたのは篠崎さん。どのトライアスロンのレースに出場しても、バイクで一番の存在感を見せつける選手とレースを展開して前の集団を捉えていこうと思った。
いざスイムを終えると、ほとんど周りには人がいなかった。急いで前を追いかける。抜くたびに回しましょうと集団走を求めるが誰もついてこない。このままじゃ、日本選手権になど出られないと思っていると後ろから篠崎さんがやってきた。
バイクには自信があった。暴風が吹き荒れていつもよりキツイ中で、さらにキツさが跳ね上がった。覚えているのは篠崎さんのヘルメット、ただただキツイと思う時間だった。広い世界を求めていた自分が、ただ一点を見つめることになるなんて思いもしていない。
バイクは日本選手権が狙える位置でフィニッシュをしたが、結局ランで走れずにレースは終わった。ほとんど前を引いていた篠崎さんより先にフィニッシュしてしまい、申し訳なく思い声をかけた。頑張ったなと言われて泣きそうになる。
ずっとどんよりとしていた曇り空から雨が降った。なんだかもうすぐ晴れそうな気がした。