Interview

不撓不屈

ー山下陽裕の

プロ意識ー

Entry.05

山下 陽裕

Yousuke Yamashita

辞めちゃいけないと誰かが言った

大学生であった山下は、就職活動をした。それは選手活動を続けることを前提とした就活だった。スポンサーを探していたとも言える。
その手段を取ったことには、現在国内でトップの成績を誇る古谷純平選手の影響がある。古谷選手は、一般的な就職活動をした上で、競技続行を打診した。普段から古谷選手のレーススタイルや考え方を素敵だと考えていて、自分も真似をしてみようと思った。

しかし、膝の怪我を抱えて存分に走ることのできなかった山下の競技成績は、一番良かった頃には及ばなかった。成績の停滞と、今後の人生を考えていく時期が重なり、どちらもうまくいかないという悪循環が生まれる。



2015年大学4年の日本選手権は出場できないと思っていた。膝の痛みは抱えていたが、健康な人間が努力をして日本選手権に出場できないのならそれは才能がない。うまく怪我と付き合うことができていない。それならば就職して普通に働いた方がいい。内定を頂いた会社で普通に働こう。
日本選手権への出場権利がかかった最後のチャンスである村上大会翌日。それを逃した山下はすっかりトライアスロンを辞める気でいたのだ。



しかし、エントリー期限直前に迫った中での一報が山下陽裕を変えることになる。
連絡をしてきたのは、当時明治大学で同期だった渡部晃太朗選手。そこで、日本選手権の出場権利があることを知る。どうして?
当時は、大会開催日程やポイントシステムの都合によりアジアカップ村上大会のポイントが重複していたのだ。つまり、2015年の村上大会が終了しても、2014年のポイントが失効せずに有効だった。



山下は日本選手権に出場する。
誰かがトライアスロンを辞めちゃいけないと言っているような気がした。そういう流れのようなものを大切にしている。

そこでの結果は、決して良いものではなかった。そのシーズン通りの結果だった。
しかし、順位以上に続けたいなと思うような結果だった。トライアスロンは楽しい。


山下は日本選手権直後に広告代理店のインターンに参加する。そこでの仕事は大変だった。社会を何も知らないたかだか大学4年生への要求は高く、いきなり現場に放り込まれたような感覚だ。当然だがそこで働いている社員はもっと大変そうだった。
インターン2日目にして始発終電生活となった山下の目の前に飛び込んだのは、それより早くきて働いていた姿。ガサゴソと音がするから君達が来たのかと思って起きたのだとその人は言っていた。始発も終電もないような時間に、着替えを済ませるために帰宅して出社する、そんな人がいるんだと知った。



山下はその働き方を素敵だと思った。
この人は仕事に全力で打ち込んでいる。
不平不満もなく、向上心を持って働いている姿が輝かしく見えた。嫌々と仕事をしているんじゃない。そんな顔はしていない。



ふと自分に当てはめてみた。
自分はトライアスロンをここまで全力で打ち込んだだろうか。大学生の中でやって来たことが全てなのだろうか。
トライアスロンしかないという状況でこそ本気でやったと言えるんじゃないだろうか。

その瞬間、自分がトライアスロンを好きだからこの道を選んだ。そう胸を張って言えるようにしようと思った。

その日のうちに内定先には辞退の電話をする。インターンの最終日の社長面接でも、トライアスロンで生活していくことを宣言する。
山下陽裕には、何度もくじけそうなタイミングが訪れている。しかし、自分自身の強い決意、憧れの舞台への思い、時には偶然も味方してプロ選手としての誇りを持ち続けるようになった。
高校時代、何度も唱えた言葉がある。
建学の精神であったその言葉は
不撓不屈
山下陽裕は胸を張って大きな声で言い切ることができる。
山下陽裕はプロトライアスリートであると。

何があっても、くじけない強い心を持っている。