Interview

不撓不屈

ー山下陽裕の

プロ意識ー

Entry.05

山下 陽裕

Yousuke Yamashita

心が挫けない人間には芯がある。
心が澄み切った人間には軸がある。
どんな困難が巡ってきても当たり前に弾き返す様は、まるでコマが回転しているようだ。
強い心を軸に回転するコマは、人々を感動させる鮮やかな模様を見せる。
プロ意識という軸を持って回転する山下陽裕は、応援してくれる全ての人を魅了するレースを見せる。

交通事故からの復活ー関東トライアスロン選手権ー

11月の肌寒い空の下、プロトライアスリート山下陽裕はコーチとしてのレッスンに向かっていた。トライアスリートらしく移動はロードバイク。
その途中、車との接触事故を起こしてしまう。丈夫な身体に産んでくれた母親のおかげか、大事には至らなかった。しかし、申し訳なく思いながらもその日の指導は中止となってしまう。悪い流れが続いているような気がした。


大事を取ったが、大した怪我ではない。すぐに日常生活に戻れるはずだった。
様子がおかしい。そう気づいたのは痛みが原因ではない。
寄稿する記事が書けないのだ。400字、原稿用紙1枚分を書くのに1時間以上を費やしてしまう。文章ってこんなに書くことが難しかったかな。次第に助詞の「てにをは」すら使い分けられていないことに気づく。すぐに訂正の指示を受けるが、何が何だか分からない。こんなに自分は頭が悪かったのかと不安が募る。
おかしいのは文章だけではない。身体もおかしかった。
早朝のスイム練習。寒くなり朝が厳しくなる時期とはいえ、うまく起きることができない日々が続いた。今までこんなことはなかったのに。ましてや、プロ選手がこんな有様でいいわけがない。

何かおかしいぞと悶々とする日々の中で、母親の言葉に驚いた。母親は一日に何度も同じ話をしないでくれ、事故にあった話など何度も聞きたくないと言ったのだ。
自分は話した覚えはないのに、だ。


病院での検査結果は明らかだった。
素人目にも分かるくらいに脳の形がおかしい。
「これダメなやつですよね?」
「そうですね。うちでは扱いきれません」


山下は安心した。
脳の異常が見つかったことは、確かに大問題ではあるが、それ以上に自分がおかしかった原因が分かったのだ。
プロ活動をする上で必要な、文章が書けない、練習ができない。
身体の調子の波が一日ごとに大きくうねるという今までに経験したことのない異常事態に原因があったのだ。
脳だったらそれは確かに仕方ないよな、と安心する。

山下の中の軸は曲がっていない。大丈夫だ。
その一本がしっかりと残っている限り、走り続ける。

100%を出せば自信はあった

2016年の12月に山下は手術のために入院をする。プロアスリートにとって、入院することは競技成績に関わる非常に大きなものだ。リハビリ期間も含めて、復活には時間がかかる。山下は関東選手権で、日本選手権の出場権利を獲得することを目標に置いた。

手術後は日常生活に戻れるところのリハビリからスタートする。言葉が使えるか、コミニケーションが取れるかなど当たり前にできていたことを繰り返す。階段を昇って息切れしてしまうこともあった。

年内に退院するが、激しい運度などできるはずはない。トレーニングの許可は出ても軽い運動程度。頭に振動のあるジョギングすらできず、トライアスロン愛好家のレベルにすら届かない。
3月には、1キロ5分ペースのジョグを再開するが吐き気を催してしまう。それでも、目標を一つに絞ることで山下は乗り越えた。関東選手権での復活だ。


4月からはプロアスリートに戻るためのリハビリ期間。大学を卒業して、プロ転向して1年が経った。6月の頭に開催されるレースまでの時間はあまりない。しかし、プロ選手としてできることを誇りと責任を持って続けていこう。それしかなかった。


そして、関東選手権前々日の金曜日。そこで初めて医者からレース出場の許可を得る。やっと戻れる。やってやる。
文章が書けない自分も、練習ができない自分も、そんなものはいない。関東選手権は、プロトライアスリート山下陽裕を表現する場所になった。

100%を出し切れば大丈夫という自信があった。日本選手権に出るために、他の予定を潰して焦点をただ一つに絞った。全部ハマれば必ずうまくいく。
結果は、6位入賞。目標通りの結果を手にすることができた。交通事故からの復帰。
プロアスリートとしての山下陽裕は走り続けている。