Interview

明日やろうは

バカ野郎だ!!
 

Entry.01

栗原 正明

Masaaki Kurihara

エースという言葉の意味

3年生のときは成績が大きく動き始める。日本学生トライアスロン選手権では5位。日本学生デュアスロン選手権で優勝と結果を残す。翌年、4年生では日本学生トライアスロン選手権5位、デュアスロンは、なんと日本選手権で優勝を果たした。全国1位の響きは子供の頃からも変わらない目立ちたがり屋の性格には最高の立ち位置だ。

次第に紹介のされ方も変わってくる。「これがうちのエースだから」というまったく同じ言葉でも、そこに含まれる意味はまったく違う。自分に期待してくれる言葉。背中を押してくれる言葉。応援してくれる言葉だった。そこに馬鹿にしたような意味はなくなっていた。

競技生活を延長するように、進学した大学院では、デュアスロンを中心に戦った。しかし、結果は、尻すぼみだ。大学院では競技成績に伸び悩む。まるで、中学で華々しい成績を残して高校で伸び悩んだ陸上を繰り返すように。あの頃は逃げ出してしまった。立ち向かえば、走れば走るだけ伸びるはずの時期から目を逸らしてしまった。
大学院の卒業が近づき、競技を続けるかどうかの岐路に立ったとき選択したのは、山梨へ就職するという道だった。また、ピリオドを打ってしまった。

栗原正明は走り続けた

山梨で何をすればいいのだろう。山梨で休みの日にすることは走ることだった。今までのように練習日誌なんて付けずに、走ることだけを楽しむ。走って、走って、いいところだなあと思った。

トライアスロンやデュアスロンは、競技者として本気で戦わないまでも、それ以外に楽しいことを知らなかった。休みの日に何をしたらいいのかと考えれば練習をすることくらいしかない。今までのように、堅苦しく練習ノートなんて書かないで、気ままに思ったような練習をする。そんな生活を続けていた。

たまたま出場を選んだ大会を清本直さんが運営していた。清本さんはカーフマンの代表を務め、デュアスロンを戦っている間には、何度もお世話になってきた人だ。
もうデュアスロンで結果を出すことのない自分に「就職したから仕方ないね」と言葉をかけてくれた。それが、悔しかった。悔しくて、ちゃんとやらなきゃなと思った。就職したからじゃない。しょうがなくない。負けたくない。そうした思いがどんどん溜まって、火山のマグマが噴き出すように、練習ノートに思いを綴った。2013年11月22日22時00分
「練習ノートを書ける時が……」
延々と続く文章は、誰かに見せるためのものではない。カッコつけたような文章だけど、今までにない気持ちが溢れだしてくる。マグマの熱さにも負けない熱を帯びている。

エース栗原正明は復活した

自分で打ったピリオドは、もう一度見返すと、ピリオドではなかった。ピリオドを打ったつもりでいたのに、ずっと思いが残り続けペンがなかなか紙から離れず「,」カンマになっていた。そうだ、物語は続いている。エース栗原正明の物語は大学の頃から繋がっているし、栗原正明の人生は高校の陸上部も繋がっている。終わってなんかいなかった。

目立つことは大切だ。それは今でも変わらない。目立つことで、自分をアピールすることで、できることは変わってくる。これまでは、競技成績を残すことだけが目立つことだと思っていた。だけど、一度競技から離れ、また復活したいと思ったときに、それでも見てくれてる人がいるのだなと思った。自転車を渡してくれる人もいれば、要らないチューブをあげることしかできないけど、と後輩に言われることもあった。競技成績どころか競技から目を逸らすような時期があったのにも関わらず、見てくれる人がいた。そう気づいた。