Interview

デュアスリートは

二度走る
 

Entry.06

深浦 祐哉

Yuuya Fukaura

バイクー常勝街道ー

無人島の開拓は、ブルドーザーの投入で一気に進んだ。
舗装された道を走るロードバイクの勢いを止められないように、深浦祐哉の勢いは未だに止まらない。国内のデュアスロンシリーズである、カーフマンジャパンにおいて11年連続でシリーズチャンピオンの座を譲らずにいる。
そんな圧倒的な実力に敬意を表して『皇帝』と呼ばれるようになった。
名もない無人島を切り開き、名実共にデュアスロンの日本代表となっていく。


デュアスロンで勝ち始めた頃は
自分を含めたBIG4と呼ばれる選手が先頭集団を形成することがほとんどだった。
そのうちの1人は今の自分と同じくらいの年だった高橋泰夫選手。自分がデュアスロンで勝つようになってから何度も苦しめられた。油断するとぐいぐいと前に出る姿に大人しくしてればいいのにお思いながらも、何よりもカッコよく見えて尊敬していた。
一度だけ先着されたとき、あれほどカッコよく見えた背中はなかった。


森正選手は、ここ1番での力を爆発させる能力やアップダウンの激しいコースでのパフォーマンスが圧倒的だった。特に世界選手権での対戦成績では、その差が現れている。

自分のキャリアの中で1番のライバルは飯干守道選手。自分が強い時に互角に戦った選手で、完全に力負けをしたと思える選手だった。自分が勢いのある時に、力負けをしたと思える選手は飯干選手と森選手だけだった。

BIG4と呼ばれる世代が終わってから、下を見るようになった。若手の選手は2ndランで脅威となる選手がいないと感じる中で末岡瞭選手の走りは怖さを感じさせた。
その同世代の栗原正明選手、田中文也選手も期待を寄せる選手だ。
また、その下の世代には、中村祐輔選手、安松青葉選手などと続いていく。

2015冬から2016春にかけてのシーズンは出場するすべてのレースで優勝し、シリーズ10連覇を達成すると国内での成績に満足してしまう。国内でやれることはもうないと、モチベーションの維持ができず、翌シーズンの日本選手権には欠場した。
ブルドーザーで舗装された道を軽快に走ることを終えてしまったのだ。