Interview

ハイアベレージ

-阿部有希の現在地-

Entry.09

阿部 有希

Yuuki Abe

体格に恵まれた選手が有利だというわけではないトライアスロン。小柄な選手の活躍も多く見られる中で、180センチを超えるその姿はひときわ目立つ存在だ。阿部有希はその高い視線からどのような世界を見渡しているのだろうか。

【結果の出しやすい競技】

トライアスロンとは運命的な出会いをしたとは言えないだろう。父親が趣味でトライアスロンをやっていて、試しに出てみようと半ば強制的に出場することになったからだ。そのまま競泳メイン、トライアスロンたまにという活動を続けていたらトライアスロンの方が結果が出るようになった。楽しさというよりも、より結果の出やすい方がよかった。高校に進学と同時にトライアスロンがメインに変わっていく。

メインと言っても、一年中トライアスロンのことを考え続けていたかと言えばそうではない。レースが近くなってから本腰を入れていくものだった。結果が出ているうちはそれでよかったのに。
練習はほとんど自主練習だった。小学校6年生の時から福島で暮らすようになったが、そこでトライアスロンのチームに入ることはなかった。現在、トライアスロンアカデミー福島の監督をしている蓮沼さんがその時は福島県の強化を担当していた。月に一度ほど見てもらう練習は印象深い。

当時は練習熱心だったというわけではなく、重要なレースが近づいてきてスイッチが切り替わる。それが、いいのか悪いのか、その判断をすることもなく練習を続けていた。
メインの練習環境といえば、ジュニアのナショナル合宿で、トライアスロンのレベルの高く、意識の高い選手が集まっていた。

そこには、現在も活躍している杉原(杉原賞紀:流通経済大学)、白羽(谷口白羽:トヨタ車体)、凌輔(前田凌輔:ベルリオ)もいて、そこで自分の能力も意識も高めて、福島に帰ってはそのレベルを維持するという日々が続いた。
しかし、それだけでは結果は続かない。
結果が出るからと競泳からトライアスロンへ転向したように、また何か別のものを求めている自分もいた。だけど、どうしてだろう。トライアスロンを辞めることはなかった。

【結果が出にくくなった競技】

高校3年生の時にはトライアスロンをやめるか悩んでいた。同時にただ、辞めるのも勿体無いような気もしていた。何が勿体無いのか明確に分からないから悩んでいたのだと思う。

その悩んでいる時期に神奈川大学の石塚祥吾さん(現在日本食研)に神奈川大でトライアスロンをやらないかと誘われる。そもそも進路も決まっていなかったが、その言葉で学生スポーツの舞台に足を踏み入れることになった。所属は神奈川大学トライアスロン部。誘ってくれた祥吾さんがいるものだと思っていたけれど、卒業して入れ替わりになってしまったのは残念だった。

Q.学生レースの舞台に立って感じることはありましたか?

それまでに大学のチームの合宿に参加したり、大学生と同じレースに出場することはありました。その時は大学生のレベルってこんなもんだという舐めた部分もあったと思います。大学に入ってからはそんなに練習しなくても勝てるだろと思っていました。そんな感覚で大学1.2年を過ごしたら晃大朗(渡部晃大朗:白慈会)や高村(高村亮:当時明治大学)、小田倉(小田倉真:三井住友海上)が出てきて、大学から始めた選手も速いんだなと思い自分を見直すことになりました。学生レースでの結果がそうやって思い直すきっかけだと思います。

大学三年生になると、錬(佐藤錬:神奈川大学)が入学してきました。自分らが一年生で入った時に部には四年生しかいなくて、卒業したら一年生しかいないというチームでした。そのため、トライアスロン部における先輩をほとんど知りませんでした。そのような状況で才能もやる気もある後輩が入ってきてちゃんとしなきゃいけないと思うようになりました。それからは錬のやる気に影響を受けるようにチームが活性化していきました。
自分は元々下を見ることは得意なタイプではないですが、錬は面倒を見たいなと思うような選手でした。

Q.今年の日本選手権は、周りの選手のレベルアップを肌で体験することになりましたね。

正直なところ、小田倉も晃大朗や錬も成績が伸びてきてめっちゃ焦っている部分もあって、今までもそこで焦ってトレーニングをして怪我をしてしまうことがありました。今は焦らずに基礎から作り直して、じっくり行こうかなと思っています。