Interview

笑顔に溢れる
世界を希う。

Entry.11

駒野 悠太

Yuta Komano

駒野悠太の話をするならば、トライアスロンについて触れる必要がある。2017年に駒野はJTUエイジランキングで1位を獲得する。カテゴリーは35-39歳男子。プロ選手とはまったく異なる戦いが存在する。
駒野は、石垣島の透き通るような海を泳いだ。日本海も太平洋もレースで泳いだ。海だけじゃない、一級河川の長良川、大阪城の堀ですら泳ぐ。全国各地で行われるトライアスロン大会で優勝の旗を振りかざし陣地を広げて行くように、圧倒的な実力を見せつけるシーズンだったのだ。ランキング対象大会は初戦の石垣島を除いて横浜、潮来、渡良瀬、大阪、七ヶ浜、長良川、村上、宮崎の出場した全てでエイジ優勝。総合でも常に優勝、入賞が当たり前の獅子奮迅の活躍だ。

駒野と東北とトライアスロン

トライアスロンとの出会いは、応援者としての立場だった。所属していた東北大学水泳部のOBに田村嘉規さんがいた。第一回日本トライアスロン選手権のチャンピオンは、言うまでもなく水泳部のレジェンドで、田村さんを慕って「GO!田村」というトライアスロンのリレーに参加するチームが生まれる。
2010年に石垣島で行われたW杯。そこで、国内外のトップ選手を応援しながらリレー部門で出場した。駒野の担当はラン。水泳部OBの集まりは走りたがらないメンバーが多かった。
成績は4位、惜しくも表彰台を逃すが、どこか笑顔が現れた気がした。同時に駒野が見たものは、プロ選手の圧倒的な力強さだった。彼らの走りを見て感動した。心が揺れた。どうして泳いで漕いだ後に、こんなにも速く、疾走できるのだろう。プロ選手なんだから当たり前だなんて陳腐な言葉は要らない。彼らは間違いなく駒野を感動させたのだ。トライアスロンには心を動かす何かがある。そう気づいた時には、ろうそくの火が揺らいで燃え上がる予兆のようなものを感じた。それが2010年のことだった。


2011年の3月11日、すでに2回目のリレー部門での出走は決まっていた。そのレースに違う意味を持たせた、始まりの日だ。日本が揺れた。感動なんてものは一気に押し寄せた波が消してしまう。実際に揺れていたのだ。母校の東北大学を思うとどこかが痛かった。胸が?心が?頭の中が?はっきりと分からないけど、とにかく痛かった。これが悲痛と言うのだろう。
悲しみの涙も苦しみの涙も、海に飲み込まれてしまったかのような喪失感だ。
駒野の心が揺らいだ。その揺らぎで、火は消えなかった。むしろ一層、大きくなる。被災した身近な後輩だけでもその明かりが届いて欲しい。自分にできることはないかと考えた。
「GO!田村」でレースに出場する。そして今度は表彰台に立つんだ。
被災した後輩に対して、それが直接的に役立つことではなくても、ただの一般チームのリレー部門という些細な結果でも、ただその元気に頑張ってる姿を届けられたら、少しでも前を向く勇気を与えられるんじゃないだろうか。そして、駒野は信じて走った。
トライアスロンは人のためになる、誰かの元気になる。駒野は信じて走って、3位入賞のフィニッシュを決めた。