Interview

憧れの先へ
日野壮一郎は
手を伸ばした

Entry.27

日野 壮一郎

Souichiro Hino

誰かが持っているものを持っていなくて、持っていないものを持っていることに気づかなくて、やればやるほど持っていないと痛感する。日野壮一郎の選ぶ目標は、いつも届きそうで届かなかったり届いたり。届いた時には、変なしこりが残っていることもある。
今度は、高いところを目指してみる。
それは日本選手権で完走することだ。

届かない目標

競泳を選手として始めたのは小学四年生の時。本格的に動いてから、すぐにジュニアオリンピックに出場できたことは、素直に嬉しかった。出だしは順調だ。
翌年は決勝の舞台まであと少し、可能性を感じた。もっと頑張りたい、と思う。
体格差は気にしていなかったが、年を重ねると意識することは増えた。大きければいいということではないが、羨ましく思うこともある。その間に練習環境が変わり、練習時間も増えていったが思い描いていた結果には結びつかなかった。

高校ではインターハイに出ることを目標に水泳部に所属する。三年間で一度も出ることは叶わなかった。絶対に叶わないとは思わないのに、届かなかった。インターハイに出れなければ水泳を辞めると決めていた。そこに後悔はなくて、やりきった気持ちはある。何か、言葉にならない何か、がずっとうずくまっていた。

耳に届いてきたのは、水泳部の先輩である、肥後巧選手の活躍だった。舞台はトライアスロン。インカレ、日本選手権、水泳で憧れたような大会の名前が次々に現れる。そこは一体、どんな舞台だろう。
水泳への未練はなかったけれど、結果を出すことにだけが気にかかっていた。トライアスロンでは、何かを掴めるだろうか。
トライアスロン部のある大学を受験して、運命に引き寄せられるように肥後選手のいる東海大学に入学する。その上には、同じ高校の陸上部出身の浅海選手もいた。
浅海、肥後、と市立橘高校出身の選手が来た、というだけで期待の新人ともてはやされた。期待されるのはいつからだろう、何もわからない世界で、どこまでも行けるような気がした。

最初の目標、全国へ

関東学生トライアスロン選手権に出場する。最初の目標は学生の全国大会であるインカレに出場することだった。それだけ、全国という響きに憧れている自分がいた。再確認する。
得意なスイムでのリードをいかに守りきれるか、予想通りのレース展開だった。安全圏の80位だけを意識して、抜かれた人数を数える。ランがスタートして沿道から聞こえる声で順位を把握する。
60位……70位……80位……
順位を落として、安全圏から外れる。
ゴールをしても、喜んでいいのか悔しがっていいのか分からなかった。分かったのは、これからゴールする選手はダメだったんだろうということ。
そして、自分よりもこのレースに想いを寄せていた先輩がフィニッシュする。まだ付き合いは短いかもしれないけれど、あんなに努力しているように見えた人が届かない場所だと気付いて、自分がいってもいい場所なのか、と思った。
結果は87位。
その時点でのボーダーは88位と発表された。
目標には、ギリギリ、届いた。