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No.7
トライアスロンを続ける限り、長良川は流れ続ける
【 トライアスロンを続ける限り、長良川は流れ続ける 】
長良川と言えばショーとしての鵜飼が有名である。
夜。真っ暗な川上に等間隔でぽつりぽつりと篝火が現れる。観覧船から眺める景色は日常には決して存在しない幽玄の世界。
織田信長や徳川家康も愛した伝統芸。時が経って喜劇王・チャップリンも賞賛した。
川の水は言うまでもなく流れ続けている。これまでに一体どれほどの量が流れただろうか。流れ続けているのだから同じ水はそこにはない。それでも1300年以上の鵜飼の歴史は残り続けた。
その川で、泳ぎ出した人たちがいる。
僕だって泳いだことがある。夏空の下、裸足で走るテニスコートのトランジッションは焼けるほど熱い。漕いで、走って、その横にはずっと長良川が流れている。
トライアスリートと呼ばれる僕たちは何を思ってそこに行くのだろう。
岐阜県を流れている長良川では、たびたびトライアスロンのレースが開催されている。毎月、行われているんじゃないかと思うくらいに盛んに行われている。
あまりにも大きな川は対岸がどれほど離れているのか推測するのも難しい。川を背にすると澄んだ空気に山々が連なっているのが見える。会うたびに山の顔色が変わるような、そんな場所だ。
・5月にはミドルディスタンス
・6月には東海ブロック選手権
・7月にはジュニアの選手権
・8月にはパラトライアスロン
・9月にはトライアスロン駅伝
・11月にはデュアスロン
・2月にももう一度デュアスロン
過去にはトライアスロンの日本選手権や学生選手権(インカレ)が行われたこともある。
日本列島の中心付近に位置し、全国から幾人もが集まった長良川。どうして、僕はそこでのレースに出続けたのだろう。レースに出ないにも関わらず足を運ぶことがあったのだろう。
そもそもレース数が多いことの要因の一つに、開催のしやすさが挙げられるだろう。
長良川の氾濫の被害を抑えるために堤防。堤防の上を踏み固めたコンクリートをたくさんの車が走っている。
その内側の空いたスペースにはテニスコートやサッカー場、様々なスポーツ施設が作られた。ビーチバレーだってできる。一般車両が出入りすることはない広い土地。
そこに大きな川が流れているのならトライアスロンをするには十分だ。
コースは単調な平坦で、大自然を横目に風を切るような、根源的なトライアスロンではない。競技者として、レースを戦うのに相応しいコース。
レース中に目玉となるような観光スポットがあるわけではない。川以外に見えるものといえば、うっそうと生い茂る草。草。草。名前は調べようと思ったこともない。
それなのに毎年のように溢れ出るくらいの選手の数が集まってくる。
何度も出場して、何度も眺めているうちに、一人一人が、誰かと、何かと戦っているように見えた。勝って喜んで負けて涙を流すような戦いが何度も繰り返されている。
もともとは漁業のうちの一つとして始まった鵜飼が観光鵜飼へと昇華したように、トライアスロンの競技者も変わっていったのだろうか。自分との戦いが最大の魅力だと思い込みながら始めたトライアスロンに、いつしか競技性も見出していた。僕だけじゃないはず。明らかにそこで誰かと戦う姿が見られるようになった。
それはオリンピックを目指すような一部のアスリートだけではない。「エイジグループで1番になった」「エイジポイントを獲得した」「エイジの世界大会に出たい」いくつになっても戦う場所がそこにはある。
そこに流れているのは長良川だけではない。日本中のトライアスリートの汗が、数十年に渡り、流れ続けていたのだ。同じ汗は一つもない。
初めての挑戦に緊張をもたらす汗。
ライバルとの再戦に燃えて出た汗。
負けた悔しさに努力を続けた汗。
初勝利を目前に気持ちがはやる汗。
応援者の思いが手に握られた汗。
白熱したレースに唸る観戦者の汗。
いくつも、いくつも、いくつもの汗が流れて長良川でレースが続いている。
その意味は決して一つではないが、大きな大きな流れとなっていつまでも流れ続けている。
長良川はそんな場所じゃないかと今になって思う。きっと、気づいたら長良川にいる自分がいる。
あの時隣で走ったアイツも立場を変えて現れるはず。新しく現れる誰かに会えるはず。そう信じて疑いようがない。
いつまでも大切にしたいと思う場所が、長良川にある。僕がトライアスロンを続ける限り、長良川は流れ続ける。
ムコーダ