Interview

精進

古山大の世界観

Entry.17

古山 大

Taishi Furuyama

茨城県龍ケ崎市。
関東鉄道竜ヶ崎線に揺られて竜ヶ崎駅に降りる。地名の「りゅう」は様々な表記が混在するが、やはりその場所には伝説性を感じずにはいられない。そこにいる、「彼ら」は、何度も何度も滝を越えようとして、滝壺に叩き落される。まだ、登りきった先を見たことがない。「彼ら」はその先にある景色を見るために、愚直にその滝を登り続けるのである。

精進 古山大の世界観

古山大は、竜を竜と気づかなかった。
中学生の頃の話だ。記録会の直前に音楽を聴きながら精神統一をしていると、声をかけて来た人がいた。集中するために音楽を聴いているのだと伝えた。
その頃は、世界で活躍する選手の名前も知らず、漠然とオリンピックに出たいと言うようなある意味で世間知らずな、ある意味で中学生らしかったと回想する。


高校1年の時には、さすがに後光のようなものが見えて、すると流通経済大学にトライアスロン部を創部すると教えてくれた。自分を誘ってくれた、これもある意味で自分を調子付かせる、いや、調子に乗っているわけではないのだけど、兎に角、さらに上の舞台でやってみようと思えるきっかけだった。

やることは明確だった。
龍ヶ崎に存在する滝は、竜そのものであるのだから、それを越えれば世界を見える。単純明快な話だ。一緒に練習をして、レースにも出る。乗り越えるべき目標が目の前にある環境なんて、他には考えられない。どんなに高くて難しくても、この滝を登り切ることを目標にすれば、必ず誰も見たことのない世界が広がるはずだ。

4年間のうちに、登り切ろうと意気込んだ。しかし、驚くことに滝は、そのまま竜であるから、時代に合わせて変化するのだ。ただの昔の伝説ではない。生ける伝説として、自分の在学中にもリオオリンピックに出場するほどだった。滝を越えようとしても、それを登る以上の速度で高くなる。不思議で、厳しくて、そしてその汗と涙の水に触れ続けているからこそ、その難しさを体感することができた。

結局、この4年間で越えることができなかった。そして、最後のガチンコでできるレースである日本選手権優勝をもって、別に自分にとってだけじゃなく、多くの人にとっての越えられない滝として引退してしまったのだ。それは悔しさを残すと共に、新たなステージでの目標を与えてくれた。オリンピックという全世界の選手が集う大会で13位という成績を越えることが、滝を登ることに変わったのだ。


学生として過ごした4年間には、間違いなくそこにしか得られないものがあった。一般的な体育会の運動部に考えられるような制度はなくて、普通の学部生として過ごす時間は、自分で考える時間だった。ある意味で学生レースに出場することも自分で意味を見出す必要がある。インカレのレース展開は特殊だから出る意味なんてないよと言われたり、学生出身の選手がエリートレースで通用しなかったり、そんな状態に負けたくない。実際に自分が2年生で優勝した時には日本選手権で通用しなかったのだから惨めにも思えたのだけれど、学生の自分が勝つことで、負けまいと必死になる人が増える。同時に学生のレースのレベルも上がって、戦うべきライバルが増える。もちろん、オリンピックに出たいというそれだけであればライバルは少ない方がいい。だけどそんな考えじゃ世界では戦えない。本気でそれこそガチンコで戦うようなライバルを何人もいる中で、乗り越えるべき滝を全て登り切って初めて、1番越えたいところに届くはずだ。


レースは1人じゃない。
チームも1人じゃない。
伝説も1人じゃつくれない。

自分のいる場所に満足せずに、戦い、挑み、たまには悩んで、開き直って戦い直す。
そうやって、あの滝を越えてみせる。



それが精進をするということだ。